高橋竹山ゾーン

高橋竹山の像

1階入り口には、高橋竹山の銅像がお出迎え

明治43年(1910)6月、青森県東津軽郡中平内村字小湊で生まれる。
本名定蔵。

幼いころ麻疹をこじらせ半ば失明する。
近在のボサマ(戸田重次郎)の内弟子となり三味線と唄を習い、東北から北海道を門付けして歩いた。
昭和19年(1944青森県八戸盲唖学校に入学し、針灸・マッサージの免状を取得。
戦後は津軽民謡の神様と言われた成田雲竹の伴奏者として各地を興行、竹山を名乗る。
この間、雲竹、竹山の名コンビにより津軽民謡の数々を発表。
(りんご節、鰺ヶ沢甚句、十三の砂山、弥三郎節、ワイハ節、津軽願人節等は二人の作による。)昭和39年に独立、独自の芸域を切り開いて津軽三味線の名を全国に広く知らした。
昭和50年、第9回吉川英治文化賞、第12回点字毎日文化賞を受賞、昭和58年には勲4等瑞宝章を受ける。
東京渋谷にあった、「ジァンジァン」でのライブは多くの若者の心を捕らえて、全国に竹山の津軽三味線ブームをわき起こした。全国労音の公演他、ロシア、アメリカ、フランス等、海外公演でも高い評価を受けた。
1998年2月5日、全国のファンが惜しむ中、享年87歳の生涯を閉じたが、高橋竹山の哀愁のある魂の音色はいつまでも人々の心の中に響きつづけている。


高橋竹山ゾーン
高橋竹山の三味線

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